先人の足跡に学ぶこと

                                  

井波御坊瑞泉寺と言う北陸で随一の大きさの浄土真宗のお寺が、井波町に鎮座しています。

 

ここが私の教科書的場所にもなります。

 

何度やっても、猿知恵みたいなものにしかならない時、やっぱり才能がないのか‥なんて、瑞泉寺への小路をとぼとぼ歩いていたら‥

 

二・三歩手前のうす暗い道の地底から、怖い顔をしたオヤッサン(二代南部白雲先生)、ぬぼーっと上がってきて…

 

        「ダラ~ッ・ダラブツ~寺で勉強してこいじゃ~‥ダラ~ッ」

 

なんて言いながら、こっぴどくビビらされ、言いたいだけ言って、すうーっと消える。

 

そうやって、アホな妄想し、「アホな飢えテル悩み」を持ちながら、瑞泉寺太子堂に小一時間入り浸ったりします。

 

初めは、考えまくります。

 

まず、全体の迫力に圧倒されながら、どうなっていると言うので、こんな迫力が出るのかと、近くに確認に行きます。

 

重箱の底をつつくように、皿のようにした目が、疲れ切るまで、見続けます。

 

最後は、兎に角何千回でもお師匠さんの処へ、みたいに、通い詰めていると、突然、見えるようになってきますね。

 

これについて、一番近い表現は…小さいとき読んだ仏様のお話で‥宮沢賢治「光の素足」だと思います。

 

ある兄弟が、ささいなことで、雪道の中、遭難し、彼の世の煉獄の行列に紛れ込んでしまい、

 

怖い鬼に、痛い痛い思いをさせられながら、地獄の果てまで追い立てられていて、弟をすくうために身代わりになろうとしたり、いろいろな苦悩のスパイラルの中をさまようのです。

 

そこに一条の光とともに、御仏が現れます。

 

それから、こう仰います…

 

少しだけ引用すると、

 

みんなひどく傷を受けてゐる。それはおまへたちが自分で自分を傷つけたのだぞ。けれどもそれも何でもない、

 

こゝは地面が剣でできてゐる。お前たちはそれで足やからだをやぶる。さうお前たちは思ってゐる、けれどもこの地面はまるっきり平らなのだ。さあご覧。

 

そこは、極楽となる。青い宝石の床の上に、金銀細工の木が立ち並び、豪奢な建物がそびえる。ひかりの素足のその人は、楢夫にこう言う。

「お前はもうこゝで学校に入らなければならない。それからお前はしばらく兄さんと別れなければならない。兄さんはもう一度お母さんの所へ帰るんだから。」

そして、一郎に言う。

「お前はも一度あのもとの世界に帰るのだ。お前はすなほないゝ子供だ。よくあのとげの野原で弟をてなかった。あの時やぶれたお前の足はいまはもうはだしで悪い剣の林を行くことができるぞ。今の心持を決して離れるな。お前の国にはこゝから沢山の人たちが行ってゐる。よくさがしてほんたうの道を習へ。」

 

‥オヤッサンからの教えと言うか、私の井波彫刻修行って、まさしくこんな感じです。

 

自分の生きること自体が、

 

「こゝは地面が剣でできてゐる。お前たちはそれで足やからだをやぶる。さうお前たちは思ってゐる、けれどもこの地面はまるっきり平らなのだ。さあご覧」

 

本当は、こんなものかもしれないのに…ただ、周りから、バカにされたり、邪険にされたりして、苦しいだけと感じていても、ただ、前に向かって、歩き続けてさえいれば、仏の光のような導きのようなものが、あって

 

「…けれどもこの地面はまるっきり平らなのだ。さあご覧。」

 

そういう示しを感じられるときが、あります。

 

それから、もちろん、やはり人間だから、それで終わる訳ではないけれども‥それでも、それで、その先にも何かあるように希望を感じて、もう少し、生きていける。

 

そうやって、物言わぬ古の彫刻の形の言葉に、耳を澄ませていると、少しずつ、理解のようなものが出来るようになってきます。

 

                 海雄個人の瑞泉寺に感じたこと。

 

瑞泉寺本堂、それから山門には、前川三四郎と言う、井波彫刻の始祖が伝えた、正統派井波彫刻の宝玉が、輝いていて、太子堂には、近代井波彫刻の息吹が秘められています。

 

どちらからも、職人の私には、この大きな浄土真宗の灯を数世紀の長きにわたって、灯し続けている古刹から、京文化のような、華やかさと、柔軟さ、純粋な信仰心を感じます。

 

この井波の城みたいな御寺は、京都東本願寺と、永きに渡って独立騒動が争われ、昔からの彫刻師の方たちは、独立派として、京都側と戦ってきた歴史があります。

 

私も、弟子の時に、独立抗争に参加したこともあり、この寺を、古からの天才彫刻師たちが、いかに、心の支えとし、大切に守ってこられたかを、実感しました。

 

今は、決着を見て、和解し、東本願寺の下、浄土真宗のお寺として、井波の町を見守っています。

 

その誇り高き井波の人々の、その名残として、本堂の大屋根の懸魚の奥の通風孔の梁部分にある、大きな唐獅子牡丹の彫り物が、どっしりと置かれているのだと感じています。

 

昔、お寺に龍を彫らせてくださることになって、自分で自由に表現できることに嬉しくなり、大好きな、「波の伊八」の龍を勉強したくなり、5万分の地図で全ての伊八の寺を回ったことがあり、そこのご住職のご迷惑も顧みず、ずいぶん勝手に取材させていただいたのですが・・・

 

関東以北のお寺には、真宗のような、静けさとは違う、武士然とした、質実剛健、それから、禅宗のような身の引き締まるものを感じました。

 

京ではなく、関東のここでは、獅子ではなく、龍であらねばならない何かを感じるのです。

「伊八の龍三態」は、ものすごく美しく、研ぎ澄まされて、

 

例えば、大好きな伊籐若冲が「京の狂・美」、伊八の龍三態は、「関東の狂・武」なんてかってに思い込んでいます。

 

伊八の龍も、懸魚の奥の梁に、こちらは、龍を中心にその世界が具現化されていて、井波瑞泉寺とも違う空気を持っています。

 

今、多彩な芸術が大きな流れとなって激流となっていますが、所々に美しくすさまじい大きな渦巻きとうねりが見られます、

 

そのうねりは、例えば、慶派、狩野派、の誰か、それから、伊八・木食・蕭白・若冲・・・そんな名の巨岩にぶつかりながら流れていくことによって、生み出されているのだと思います。

 

井波彫刻欄間で、波を表現する時は、いつもそんな想像を膨らませます。

 

もちろん、岩も土も、空も雲も、木も山も、形が言葉を持って、人に語り掛けてくれるように・・・

 

できれば、形を彫ることが、「心を彫る」事であるように、生きた形であるように・・・合掌