レオナルド・ダ・ヴィンチ

むかつく弟弟子がいて、「夢判断をするから、どんな夢を見たか教えて」っていうものだから、

 

「今朝見た!」と言ったら、どんなと聞くので、「迷路のようなビルの中を、何かを探して入っていくと、出口が‥‥」と、

言い切る前に、「あーっ!マザコンだ!マザコンです」と言う・・職人としては、高が知れた者の意見ですが・・

 

ある説には、男は、皆マザコンとする説があります。

 

母親の愛情が、人生のかなりの割合に、影響を及ぼしているというのです。

 

さて、レオナルド・ダ・ヴィンチですが、これも中学の図書館の精巧な原寸複製書籍で見た「モナ・リザ」から、知りました。

 

マドンナと言うより、「母性の愛情」からの微笑そのものでした。

 

確か、フィレンツェ・ミラノ・それから、逃亡するように再びフィレンツェ、と苦悩の旅から故郷に帰ってみれば、今はもう、後輩のミケランジェロやラファエロが巨匠となり、少しずつ気持ちが、悪く言えば、弱く、よく言えば、柔らかくなってきていると思います。

 

こんなこと言ったら、ダヴィンチファンの中には、怒り始める方もおられると思いますが、彼の生まれた当時、公証人でお金持ちの父親が、貧しい農家の美しい娘マリアと間に子供(レオナルド)が、出来てしまい、私生児として、マリアとともに、一旦捨てられます。

 

しかし、わずか4つ5つで天才的な発想家の片りんを見せる我子に驚いたのと、自分の妻には子供が出来なかったこともあり、ついには、マリアから子供をお金で奪ってしまいます。

 

レオナルドからしたら、物凄く優しく愛してくれた母親から、なんだか知らないが、無理矢理引き離されて、お前はさすがに我が子!天才じゃーとかなんとかわけのわからないことを言われて、誉めそやしまくられて、どうしていいのかわからないといった感じだったと思います。

 

幸い、継母も、諦めていた子供、それもすんごい可愛くて優秀な男の子が手に入り、目に入れてもいたくないような可愛がり方をしたわけです。

 

どちらも劣らず、深い愛情に満たされた微笑が、この子供に降り注ぎました。

 

一方、父親は、プライド高く、勝ち組の象徴のよう‥‥幼いレオナルドは、この漢のように強くなって、優しい母を守りたいと、思ったのです。

一種の「エディプスコンプレックス」のようなものです。

 

そのせいで、若くて自信と気力の充ちている時期には、冷たく硬質な「ジネブラベンチ」や、「貂を抱いた婦人」

あの有名なエピソード、「受胎告知」ナザレにて、天使ガブリエルがマリアの前に現れ、受胎を告げる衝撃的な場面でさえ

マリアも天使も、「岩窟の聖母」以降のとろけるような愛情の表現はなく、毅然として強い精神力を見せています。

 

しかし、後輩でライバルと言われているミケランジェロとの競作、「アンギアーリの戦い」を技術的なことで失敗したり、

「あんたは、何にも完成させられない」などとやられたり、後半は、心が傷ついて、今で言えば、「癒し」が必要になってきました。

 

その「癒し」を求める気持ちの表れが、「モナリザ」です。

リザは、「織物関係の大商人の奥さん」と言う事になっていて、傷心のレオナルドが、船着き場で旦那の帰りを待っている美しい貴婦人に、「二人の母親」から注がれた微笑を見つけるのです。

 

彼女は、二つの感情を持っていたと言います。

1つは、先に娘をなくして喪に服している諦めと悲しみ、もう一つが、お腹に新しい命である「息子」が宿っている癒された喜びの感情です。

 

これは、レオナルドの二人の母親、最初の深く悲しい愛情と諦め=「実の母親」と喜びと深い慈しみ=「継母」を両方持っているようなものでした。

 

天才的な話術も持ち合わせていたレオナルドが、気にかかって仕方ない「この心の母親」に、声をかけて、誰にも言えない気持ちを打ち明けている情景があり得ないとは思いません。

 

実際、自分のアトリエに招いた時は、誰にも邪魔をされないように、二人りで閉じこもって、まるで密会でもしている状況だったようです。

 

それ以降、人生の終わりまで、絶対に満ち足りえない、得体のしれない癒しを求めて、彷彷徨い続けるように「モナ・リザ」を描き続けます。

 

こうなると、どうしても気になる絵が、もう一枚あることに気づきます。

「聖アンナと聖母子」です。

 

不思議な構成です。

マリアの母親アンナの膝に、マリアが座っていて、羊を抱く幼児キリストを見つめて微笑んでいます。

 

背景は、モナリザ同様、秘められたこの家族だけの世界のように感じられます。

 

羊と遊ぶ幼子を、抱き上げようとしているのか、歓びの微笑を見せるマリア=レオナルドの継母と、それらを高みから見守るアンナは、それ自体で、悟りの境地に達して、「愛する子供の未来の為」より深い愛情で、離れて見守る=実母そのものです。

 

むしろこちらの絵の方が、レオナルドらしい絵だと感じますし、「微笑の絵」としては、深く、完成していると感じます。

 

ついでですが、‥よく言われる、実はモデルが男だったとか、自分の顔だったとか、レオナルドの芸術を語るときには、どうでもいい話にしか感じられません。

 

最後に気になるのが、不思議な絵「洗礼者ヨハネ」です。

 

ダ・ヴィンチの心に、いわゆる「理想の女性」に対して、神格化に近い「記憶の固執」が存在しているのなら、性を超えた究極の表現が、ここに完成しているのかもと思います。