昭和の田舎の小学校でも、皆、名前を知っている画家でした。
中学の美術の教科書に載っていた長ったらしい名前を、今でもそのまま言えます。
教科書には、カタカナ(スペインだけど)で「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランチェスコ・ド・ポール・ジャン・ネポムチェーノ・クリスパン・クリスピアノ・ド・ラ・サンチシマ・トリニタッド・ルイス・イ・ピカソ」と、書いてありました。
あれから、40年たちますが、間違いありません。
「それがどうした(・・?」って言われたら、「いやっ‥それだけだけど」‥まあいいじゃないですか。
意外なことに、美術の教科書には、ギターやマンドリンが描かれた静物等で、いわゆる立体派真っ盛りの充実した「色彩多面体構造」のリズミカルな絵ばかりが載せられていることが多かったのですが、中学校の原寸複製書籍には、ブリヂストン美術館所蔵の「女の顔」と、いわゆる晩年期の地中海時代の「走る女」などが掲載されていました。
地に足が付いたしっかりしたデッサン力を駆使して、完全に自分の感性の手の平のなかで、転がすように楽しんで描いていました。
実は、当時、ピカソの事を、大体の者が、正直に「ヘンテコで訳の分からない絵」を描いて有名な人、という、「訳の分からない事」を言っておりました。
しかし、私は、それなりに、「訳が分かって」ファンになっていました。
当時、油絵って、どういうものか知らず (実際に油絵を描き始めたのは、一回目の高校の時です) 色々馬鹿げた工夫をしていました。
まず、超好きになったのは、ブリヂストン美術館の「女の顔」です。
絵の具に軽石の砕いたものを混ぜ、地中海の暖かい石の肌触りを表現し、且つ、大胆で大らか、白く美しい顔は、ふくよかで優しい。
地中海からの潮風が、女の顔をなぜていく。
凄くかっこよくて、気持ちがいい!地中海気質と、グッと来るナイーブな繊細さ、それなのに、地に足のついている重み、感触がしっかりしている。
この海坊主は、インスピレーションの神なのか!誰が、軽石なんか絵の具に混ぜるのだろう。
ダリにも、石を張り付けたり、えって?と言うような素材を、ちょっと待って!って使い方した絵がありますが、ピカソのように完全に、バランスが取れていて、調和している使い方って、そんなに見たことない。
今でも思いますが、たまにいるんだよね‥こうやって人が死ぬほど苦労して、全才能を使い切ってようやくたどり着いて、こここそが、私の求めていた前人未到の境地だ、って言って足を踏み入れてみたら、ワイルドなオヤジが、女と楽しそうに、ワインを楽しんでいたりする。
仕方ないからここで一つ頑張って、名を上げるか!なんて覚悟していたら、朝になったらいない。
奥さん?が残っていたので、「どこに行かれたのですか」って聞いたら、「ここも飽きたから、言ってみたら、フロンティアね」などと変なことを仰る。
面白くなって、次は何をするのか楽しみにしていて、あーっこんなところに来たのだから、とんでもなく突飛なことが始まる‥って期待させます。
しかし、見ていると、期待していたことと少し違って、とても理知的で、普通にさえ見えることしかしないのです。
で、たまに、閃きで下らないこと始めます。
油絵なのに色鉛筆デッサンみたいのを始めたり、そこに出すの(・・?って感じで、チューブから直接キャンバスに、にょろにょろ――って。
どれも閃きがあって、楽しく、大らかで、いやらしくないのにすっごいセクシー!
繊細で‥‥、一々語りつくせない。
多分ダリは、同胞の、この大先輩について、巨大な父親(エディプス王)を見ていたと思われます。
ピカソは、そんなにダリについて語りつくす事は無かったようですが、ダリの著書には、しょっちゅうピカソが出てきます。
-ところで、「女の顔」ですが、私の田舎の中学時代の可愛い同級生を、この技法で描き上げてみたくなり、水彩絵の具搾りたてに、彼女の顔を思い浮かべながらどっしりと描き、仲の良い友達に見せたら、物凄く受けました。
それから、「こりゃ凄い!天才――」などとよくある子供のはしゃぎ方で騒いでくれたものだから、彼女に見られてしまいました。
それがすごく恥ずかしくって、なんでかこっそり学校の焼却炉に放り込んでしまいました。
あの絵を見た瞬間の、彼女の顔は、当時仲が良くなかった割に、優しい表情に見えたのに・・。
高校の時の文化祭の美術部展示場に来てくれて、又褒めてくれたから、一枚、これは、きちんと油絵の具で描いた、最後期印象派風の自分のお気に入りを差し上げたのを覚えています。
さすがに、もう、持っていないだろうなぁ。
高校の美術の教科書を初めて渡された時、真新しいインクの匂いがして、ワクワクしながら開いたら、いきなりピカソ作「ゲルニカ」
ピカソのこの絵には、小さく解説が添えられており、王制から共和制へと無血革命を成功させた直後に、ドイツイタリアなどのいわゆる右派勢力の支援を受けたフランコ将軍が、反共戦を勝利する過程で、要所となる街ゲルニカを爆撃した様を、ペンキで描いたものだと言う事です。
色彩は、あまりなくて、図書室で見た軽快な音楽的な響きはやっぱりあるけれども、ライトトーンに対して、グレートーンです。
その独裁者と言われているフランコ将軍側の軍事弾圧にたいする物凄い反感を示して、「フランコの夢とうそ」という名作も残しています、ピカソは、社会主義者、労働者階級の人民にとって、スターでもあり、強力な共産党活動員なんですよね。
彼の絵描くものって、押しつけがましいイデェオロギーだとかは微塵も感じられないのに、なんて言うか、乾いた訴えっていうか。
けれども、ピカソの戦いと、現実離れした活動自体の為かなとも感じる無理な主張が多い普通の左翼や、日本赤軍とかの左翼活動家とは、大分違うように思う。
それは、そこらへんにしておいて、神童画家時代、青、赤の時代などを経て、パリ画壇で大活躍したのですが、無名の頃に、同じくらいの年頃の優秀なマネージャーも得て、華やかな人生を楽しんでいきました。
多分、政治活動に対しては、年代的にも、直接的な当事者であり、情熱的ですが、偏った活動は、していないと思います。
晩年は、古代ギリシャ風の新古典主義的な絵画を発表し続けたのを見ても、なんて自由なんだ!ってね‥‥感動します。
むしろ、もう一人の立体派巨匠ブラックなどのような、修業僧のような人が、本格的な政治活動をしていそうです。
あくまでも、私の個人的な意見です。
あと、ピカソの少年時代に描いたコンテデッサン「トルソ」「足!」などは、その光のトーンがいかにもスペインらしくて、大好きで、中学時代よく模写をしていました。
これも、友達に評判が良くて、完全に覚えてしまい、高校入試試験用紙裏に回答終わって時間余ったのでと言って、一生懸命描いていたら、監視員の先生(のちに英語教師で柔道部顧問だと知りました)がじっくりと見学されていて、叱られるのかと思ったら、ただ、黙ってみていてくれました。
スーラの学生時代のデッサンも素晴らしいトーンの使い方で、隠された動きのドラマチックな表現がすごく好きですが、少年ピカソのは、それから比べたら、やや未熟ながら生きている命を感じさせてくれます。
そう見たら、ピカソの芸術活動は、すべての時代を通して、今生きている命に対する賛歌だと思います。
彼の時代は、世界中が、激動の時代だったわけです。
何度かの自国の内戦も体験したり、世界大戦も体験しておられます。
そういえば、私の尊敬する、井波彫刻の師で、天才彫刻師「二代南部白雲師」も、大東亜戦争体験者です。
そういった天才たちが、表現する命の賛歌は、シンプルで、情けがあって深いです。
最後に、立体派と、言われる流儀ですが、例えば、人か、いろんな顔を持っているのを、一見こういう顔だけど、こんなにバラエティーのある表情があり、根幹には、こんな思いが等が潜んでいることを、画面一つに、活き活きと表現する一つの方法として、いわゆる立体的に描くと言う事だと感じます。
そういった意味で見ましたら、ブラックのは、立体派とは別のように思います。
一つの顔に、嘆いたり、優しかったり、色も‥‥そんな、形も感情も違う物が、一枚の画面の中に、同時に描かれ、立体的に協和して響きあう、そんなピカソのようなのが、立体派らしいと感じます。
そして、最後期には、革新的な古典派とも感じられる絵を描き続けました。
どれも、これも、人間愛に満ちていて、包容力もデカくて、まさに二十世紀絵画の父親、ゴッドファーザーですね。
私にとっては、身近な人ではないですが、例えば、父親代わりの住職様、白雲のオヤッサンです。
もう、最近では、あまり見かけなくなってしまった、物の怪時代の事ですかね…