ダリ

サルバドール=ドメネク=フェリーぺ=ファシント=ダリって言ったと思います。

田舎の中学校の美術の教科書で、ダリの記憶の固執を知り、それから図書室で原寸大の複製書籍をみて、なぜか虜になりました。
なにか、しんなりとした夢の中の空間に、なぜか私の朝起きる時間で時計が止まったまま、ぐにゃりと垂れ下がっているシーンです。

 

日を浴びて浮かび上がっている海岸の崖は、多分ダリの思い出の地だと思われますが…


その傍らに、目覚めることのできない瞼のような物体が横たわっている。
もう、夜明けもそこまで来ているのに・・そのまま寝ていたいような、このままではまずい様な変な絵です。

 

人によって、どんな記憶に固執するのか、様々だと思います。

 

固執した記憶に捕らわれ、生きる空間まで支配されるようになると冷静な行動が出来なくなることもあり、固執が起きた年齢によっても、人格的に影響を受けることになる場合があります。

 

ダリが多くの影響を受けたジグムント・フロイトと言う心理学者は、どんな記憶に固執しているのか?探ることによって、精神異常の状態から、心を解き放つ試みをしました。

 

いわゆる退行催眠によって、固執を起こすほどのショックを受けた時期にさかのぼり、どんなことが起きたのか、本人に聞くのです。

 

それによって、精神の異常が、やわらいだり、解消したりすることがあるのです。

 

それによって記憶の固執が崩壊を見せ、あの意味正常に戻り、冷静さを取り戻すわけです。

 

ダリは、ちゃんとそこまで表現を進め、「記憶の固執の崩壊」と言う絵を描いてもいます。

 

ダリ氏自身の記憶の固執から、何が原因で解き放たれたのかは知りませんが、友人から奪った女性、ガラ・エリュアールの存在が無関係ではないように思います。

 

それと、私が、ダリを大好きなのは、その行動の異端性なんかではなく、どの表現もしっかりした物語、理想、理性、感性とインスピレーションによって、構成されているからです。

 

それを確信したのは、ダリの料理を見た時です。

 

他のシュールリアリストが、突飛なだけのわけのわからない料理?を製作したのにもかかわらず、ダリは、基本にこだわった

 

 見ても食べても斬新で美味しそう、かつ、上品でした。

 

芸術とは、食べられるものでなくてはならない‥とも言っていました。

 

ダリに対する、独り歩きする勝手なイメージは、岡本太郎氏の「芸術は爆発だ」と、似たようなものかも‥‥

 

ある講演会に行った時、岡本太郎氏が、「芸術は爆発だ」なんて言っても思ってもいない、周りが言えと言ったので言っただけ‥‥なのがマスコミなどを通して広まったと言う事を聞きました。

 

あの太陽の塔に見える整然とした物語性が、わけのわからないものをただ求めていただけでないことの証拠だと思います。

 

ちなみに、ダリは、その小説風自伝の中で、石版画が嫌いで、無理矢理描かされたドンキホーテだったか?そのシリーズのみしか書かなかったと聞いたことがあります。

 

余りストーリー性も底通した理性も感じない、ダリの従来の作品の切り貼りみたいな作品が、物凄く沢山出ているのを、東京時代に見ましたが、絶対変(*´Д`)/ 

 

ダリデザインのチュッパチャップスっていう枝付キャンディーは、今でもたまに、車を運転しながら、子供とチュパチュパやます。

 

ダリの正体というテレビを見て…

 

ダリを刹那的に評価する天才デザイナーが、初年時代から初期の絵を「つまらん」と、切り捨て、それから、シュールリアリストのメンバーとして、活躍し始めた中期の絵を、見た感じで面白いと評価していました。

 

でも、少年時代から、初期の絵も大事に見ていってほしかったです。

 

テクニック的には、大したことがない少年期かもしれませんが、シュールリアリストの始まりが、少年時代と言うか、実は、生まれた時からの、微妙な奇行ともとれる行動やその制作方法から見て取れるからです。

 

ただ、天才デザイナーの言った事も理解できます、いわゆる芸術家・アーチストは、物語る者である傾向が強く、いわゆるデザイナーは、私の個人的言いようによれば、物語を作る、のではないかと思っていて、きらめきや感性こそが、第一なのだと思います。

 

デザイナーに、通底器の思想はかえって邪魔ですよね。

 

後、もう一個気になったのは、普通のテーブルのうえのキッチン用品が、気ままに空中に浮いて遊んでいる絵です。

 

背景の地中海面でさえ、彼らのように遊んでいないのにです…。

 

1つ1つがてんでばらばらに、自由にきらめいて、子猫のように眼を輝かせています。

 

ただの卓上のものが、子供がただの木のかけらを、手にもって空に振りかざし、「ブーンブーン」と、飛行機をして目を輝かせているのと同じ状態にありませんか?

 

それをそれら自身が、日常という母(物語)から離乳して煌めいていて、多分そこが、あの天才デザイナーとの接点となっているのだと感じました。

 

彼は、デザイナーとしても、エイリアンなどの創造もしていますよね。

 

あのきもい映画の主人公の行動を見ていると、突飛な物語を切り開きながら、既存の何かと通低もしているように思います。

 

 これが、私の大好きなダリです。