ヨハネス・フェルメール

モーツァルトのような感じの天才画家、「ミルクメイド」「真珠の耳飾り」で有名なオランダバロック時代のフェルメールです。

 

やはり中学生になって図書室で初めて見た「ミルクメイド」の精巧な複製書籍に一目ぼれしました。

 

このときは、ダリの数倍の衝撃を受けました。

 

当時は、本当の土壁の家が普通で、ミルクメイドの部屋の雰囲気、空気がよく理解できました。

 

一説にオランダのデルフトと言うフェルメールの住んでいた土地の光と、日本の光が似ているなんて話を聞いた覚えがありますが、それはさておき、当時のステンドグラスのガラス窓から差し込む、淡い紫の朝の光や、秘めやかなランプの明かりが、日常の穏やかなドラマを、浮き上がらせるように表現されています。

 

光と影に浮かぶリズム感が、モーツァルトのオペラ曲のような軽やかさと、新鮮さ、ナイーブであったり大らかであったりの小気味良いドラマを感じさせてくれるのです。

 

 上野に住んでいた時に、「オランダ黄金時代展」と言うのが国立西洋美術館であり、「真珠の耳飾り」または、「青いターバンを巻いた少女」を見ることが出来ました。

 

当時、今よりもフェルメールのファンは少なく、絵の前は、結構がら空きだったので、3日にわたり、じっくりと、それのみを見に行くことが出来ました。

 

それは、絵の具の層を通して光が目に届く特殊な技法で描かれていて、その信じられないほどの繊細な光の魔法、技巧により、画面よりずっと奥に存在している少女が、生きていて不思議な時を刻んでいるようでした。

 

止まった時間こそが、永遠を刻んでいるのです。

 

バロック時代近辺の画家と言えば、ルーベンスや、レンブラントなどの豪華で、ダイナミックな主題を、壮大にまとめ上げる天才たちが、大活躍する中で、モデルにする部屋は、たった2つ、風景画は、自分の家の表「デルフトの眺望」と、裏だけ‥‥の本当に秘められた画家で、多分、当時も含めて、今のようにファンが殺到するようになったのは、最近だと思います。

 

私は、中学高校と、昔からの大ファンでした。

ダリやピカソ、ルノアール‥‥「失われた時を求めて」のプルーストも、そしてあのゴッホも‥‥間違いなく、ラッセンよりは、とんでもなくスゴク愛していたとおもいます!

 

ゴッホやピカソより、普通にラッセンを愛している人たちって、本当に、芸術を愛しているのでしょうか。

 

フェルメールのにわかファンの人たちって、どんな理解の仕方をしているのか、何に感じて感動したのか‥‥

 

少しも聞いて見たくない。